学校という場所について思うこと
もうすぐ新学期が始まります。
私が子どもの頃、ツクツクボウシの声は「夏休みが終わるサイン」でした。今でもあの声を聞くと、何か急かされるような、少し複雑な気持ちになります。
最近、どうしてこれ程までに、学校が子ども達にとって窮屈で、居づらい場所になってしまったのだろうと考えることがあります。理由はいろいろあると思います。
また、小中学校を見ていて不思議に思うこともあります。
世の中は驚くほど変わりましたが、学校はというと、その外観も、その雰囲気も、40年以上前とほとんど変わっていないことです。
りっぱな建物に広い運動場もあって、本来なら子どもたちが、思いきり遊べるはずです。中に入れば、机や椅子も、昭和の頃とほとんど変わらない。
しかし、子ども達の数は当時の半分ほどになりました。
その一方、子ども達の荷物は倍くらいに増えて、通学カバンは大きく重たくなっています。あれでは走って帰ることは難しいでしょう。そもそも今は学校から走って帰ったりしてはいけないのでしょうか。
うちの子ども達が小学生だった頃も、教室に入ると机の横も後ろのロッカーも子ども達の荷物で満杯で驚いたものです。
学校は、楽しいことばかりではないにせよ、子ども達が安心して通える場所でなくてはなりません。
「学校に行きたくない子は、無理に行かなくてもいいよ」という方向に社会が舵を切ってくれたことは、ひとまず良い変化だと思います。
それでも、35万人もの子ども達が義務教育に「ノー」を突きつけている現実を、私たちはもっと真剣に受け止めなければならないのではないでしょうか。
選挙では教育費や給食費の無償化が話題になることはあっても、「教育の中身」が論点になることはほとんどありません。票にならないことは後回しにされるのかもしれませんが、人を育てる学校や教育は、社会にとって最も価値のあるテーマのはずです。
先生たちの不祥事も、子ども達の不安を大きくしています。学校が安心できる場所でないことは、少子化にも悪影響を及ぼすことでしょう。
先生になりたい人が減り、先生になっても心身が疲れ果てて辞めていく人が多い現状も、子ども達の不登校と同じ根っこにある問題のように思えます。7,000人以上の公立学校の先生たちが、精神的な問題を抱え、休職しているそうです。
新学期を迎えるこの時期、憂うつな気持ちで過ごしているお子さんがたくさんいると思います。
どうか、決してお子さんを責めないでください。決して「うちの子だけ」などと思わないでください。
少なく見積もっても、小中高校生の41万人――松山市の人口と同じくらいの数の子ども達が、「学校に行きたくない」と感じているのです。
明日、学校に行きたくない、行けない。それは子ども達にとって、とても切実で苦しい問題です。
だけど、「学校に行けないからもう終わりだ」なんて、だれも考えないでほしいのです。
学校を今すぐ変えることはできませんが、
人生に方法はいろいろあるのです。
人生は途中下車してもいい。
途中下車して、少しそのあたりを散策してから
後から来た列車に、乗らなくてもいいし、乗ってもいい。
その列車で、思いがけない素敵な出会いがあるかもしれません。
人生には、そんな不思議で、おもしろいところがあります。
今も昔も、学校に柔軟性を求めることは難しいかもしれませんが
人生を柔軟に生きることはできるのです。
